家族のための「回復への指針」は全部で七つあるのですが、そのうちの一番初めが以下のものです。
以下は全断連発行の家族のための「回復への指針」からの抜粋です。
一 酒に対して無力であり、自分ひとりの力ではどうにもならなかったことを認める
家族は、家庭内の酒害問題を解決するため、様々な努力をしてきた。
ある妻は、夫に節酒させようとして、二合だけでやめるように夫に約束さ
せたが、結局は腹いっぱいになるまで飲まれた。
夫が外で醜態をさらしたり、他人に迷惑をかけたりするので、家だけで飲
むように誓わせたが、酔っぱらった夫が外に出ることを、どうしても止めら
れなかった。
親から、おまえの飲ませ方が悪いのだと言われ、家の中で楽しく飲ませる
ために、いっしょに飲むことさえ試みたが、まるで無駄なことであった。
ある妻は、量が多いと夫を説教し、せめて昼間だけは飲まないでほしいと
哀願し飲む回数を減らすためだと言って、家に酒を置かなくなった。
夫の飲み友達を家に寄せつけず、行きつけの小料理屋やバーに飲ませない
ように電話し、最後には夫の身体検査をして、金を一円も持たさないように
した。そのくせ結局は、世間体が気になって、夫が借りまくった借金を文句
たらたら支払った。
そっと夫に近づいて匂いを嗅いだり、表情を探ったりした。かくしてある酒
瓶にこっそり目印を入れ、時間を置いてから、酒が減っているかどうかを確
かめた。あるいは、酒瓶の位置がずれていないかどうかを調べた。
一方、夫は何がなんでも酒を飲もうとして、様々な策を立てた。家の中だ
けでなく庭のあちこちに酒を隠した。それが発見されると、家族が寝静まる
のを待って家を抜け出し、新寝営業のスーパーや屋台にいった。朝は朝で五
時になると妻の寝息を確かめて自動販売機に走った。妻と夫の間に、いつ果
てるともないイタチごっこが展開され、家族のすべてがそれに巻き込まれた。
また、酒乱の夫を持つ妻の悩みは深刻であった。今日はおとなしくしてい
てくれるのか、子供や親たちに暴力を振るったらどうしようか、と朝から不
安になった。そのため、夫の機嫌をとることに全神経を集中し、何とか夫の
気分と酒量をコントロールしようとしたが、結局は無駄な努力であった。
暴力がなくても、夫が家庭で自分の役割を果たさないことで、家族中が欲
求不満になり、怒りや不満を掻き立てられた。酒害をめぐる経過は様々でも、
酒害は本人、家族を地獄に突き落していた、と言っても過言ではない。
こうした家族の悪戦苦闘の体験は、酒害者の心や酒量をコントロールでき
ないことを、家族に認めさせるものであった。事実、家族も心の中では、こ
んなことをしても無駄だ、とわかっていたのだろう。
しかし、無駄だとわかっていても、それ以外の良い方法を考えつくことが
できなければ、酒害者の健康や子供たちの将来のためにという願いが、家族
をそういう行動に駆り立てたのだ。目の前で愛する人間が酒の犠牲になって、
身も心もぼろぼろになっていく姿を、見過ごすことはできないのだ。
ある妻は、夫の酒害が進むと職場でどうなるのか、昇進どころか首になる
のではないか、会社は家族の責任を問うのではないか。もしも仕事を失った
ら家計はどうなるのか、ローンの支払いは、子供の教育費はと悩み続け、急
場しのぎの嘘を会社に平気でついてきた。夫の嘘を責め立てていたのに、自
分も同じことをやってきた。
ほとんどの家族は、救急車のサイレンを聞くと、飲酒運転で事故を起こし
たのではないか、他人に気がをさせたらこの家は破滅だ、と不安になった。
妻たちの大部分は、こんな家庭で子供たちは満足に育つのだろうか、非行
に走るのではないか、父親のような酒飲みになるのではないか、と落ち込ん
だ。
そして、明日という日がどうなるのかもわからず、子供たちに明るくのび
のびとした幼児期、少年期を与えられない自分を責めた。このままでは駄目
だ、子供たちのために離婚するしかない。いや、苦しくても子供たちのため
には、両親がそろっていた方がよい、と迷い続けた。
また、妻たちは夫の酒をコントロールすることだけでなく、夫の酒によっ
て家族の関係が切り裂かれるのを防ぐため、今度は夫と他の家族との間を取
り持ち、自分の思い通りにコントロールしようとした。しかし、それは無駄
な努力であったので、そうした行動を繰り返す中で、心の健康を損い、理性
的な判断力を失ってしまった。
そして結局、もう夫は駄目だろう。残された方法は何もなく、夫の死をひ
たすら待つだけだ。自分や子供たちは、不幸を背負って生まれてきたのだ、
と諦めかけた。
だが、機会に恵まれて、夫が何とか断酒会に入会し、疑心暗鬼で初めて出
席した例会で見た、断酒会員やその家族たちはどうであったか。この人たち
が以前、本当に酒害に苦しんできたのだろうか。爽やかな笑顔で迎えてくれ
た家族たちは、本当に自分と同じ体験をしてきたのだろうか、と妻たちは自
らの目を疑った。
しかし、彼らの語る体験談に耳を傾けると、まぎれもなく自分と同じ苦労
をしていた。また、おずおずと少し話してみると、心から共感してくれた。
たった一度の例会出席で、同じ苦労をした者同士でなければ味わえない、強
い一体感すら感じられた。
また、彼らの話を聞き続けている中で、これまでの自分の、実りのない苦
闘の謎が解けていった。本人にもどうしようもできなかった酒が、いくら家
族の協力があっても止まらなかった酒が断酒会という集団の中で解決できる
ことをやっと理解できるようになった。
自分の意志で酒をコントロールできないことが、アルコール依存症という
病気の本質であることを知ったのだ。そして、本人がどんなに頑張っても抑
制できなかった酒を、家族が本人に代わってコントロールできるはずばない、
ということを心の底から思い知ったのだ。
また、酒害者が無能であったり、だらしない人間であったわけではなく、
家族への愛がなかったのでもないことがわかった。本人が様々な闘いの末、
この病気が自分の力だけではどうすることもできないことを体感したように、
家族もまた、自分たちの力ではどうすること出来ないことを体感できた。
こう考えると、これまでの家族の苦しい戦いは、決して無駄ではなかった
ことになる。もしこのような体験がなければ、酒は誰にもコントロールでき
ないという真実を。まず理解できなかっただろう。もし理解できたとしても、
それは頭の中だけのものだっただろう。
そして、本人が断酒会に入って断酒を始めるとすぐ、断酒をあまく見て無
理な注文をつけ、足を引っ張ってしまっただろう。断酒が軌道に乗らなくな
ると本人を責めたり、できないことだとわかっていながら、また本人に代
わって、酒をコントロールしようとしただろう。
共依存という概念がある。これは前述したように、家族が実りのない闘い
を延々と続ける中で、そうした行動から離れられなくなり、家族の心が不健
康な状態になることが多い。
アルコール依存症の若い息子を持つ親は、子供の問題を若いうちに解決し
ようとして、子供の世話を焼きすぎることが多い。その結果、子供は現実に
自分が抱えているひどい酒の問題に、直面する機会を奪われてしまい易い。
高齢のアルコール依存症者を父に持つ子供たちは、長い酒害生活に付き合
うことに馴れてしまって、もう先が短いからと考え、父親を断酒会につなぐ
ことに消極的になり易い。
妻がアルコール依存症である夫は、女性に対する社会の偏見が原因で、事
実をひた隠しにし、自分自身もひたすら我慢を続け、妻の回復の機会を奪っ
てしまい易い。
このことに関して、本人からいろんな悩みを訴えられ、周囲の人たちから
は対応の間違いを指摘された。しかし、家族は飲酒を中心とした様々な問題
で、自分の強迫的な思い込みや完全主義的な傾向をどうすることもできな
かった。このようにして家族は、酒害者の飲酒を結果として支えてしまった。
酒に対しては、酒害者本人ですら無力であり、家族など周囲の人間も無力
であることがわかった。また、これらの無力を認めることは、決して恥ずか
しいことでないこともわかった。そして、酒害に関しては、家族がもがき苦
しむことをやめ、家族自身の心の落ち着きを、自らの手で取り戻さなければ
いけないことがわかった。
酒害で荒れ果てた家庭を建て直すためには、自分ひとりの力だけではどう
にもならなかったことを、家族のひとりひとりが認めよう。